「嫌な上司」の間違い、直接指摘できる?
小説家・江上剛が訴える、30代における「度胸」の大切さとは
「どうにでもなれ」と思って
勢いよく行動に移せるかが重要
ある夜、私は課長を追及しました。すると貯金箱の中身のお金を勝手に使ったことを認めたのです。「どうして勝手に使ったのですか? みんなにこれだけ貯まったぞと言えばよいではないですか」私は課長に詰め寄りました。加えて部下への逃げ場のない怒り方についても止めるよう進言しました。
「あなたは私の人事査定をする人です。私は覚悟して申し上げますので、あなたも覚悟して聞いてください」と私は言いました。その時は背水の陣というか、課長に嫌われ評価を下げられるという恐怖より、部下が働きやすい職場にしなくてはならない、という気持ちでした。
結果、みんなのお金は返金され、課長は仕事の仕方、部下の指導方法を改めました。予想通り査定に関しては、課長は私のことを徹底的に低く査定したようですが、さらに上の副支店長や支店長に「部下の評価は、自分が評価されているという覚悟で査定しろ」と注意され、修正させられたそうです。ギリギリのところで客観的に見ていてくれる人がいたのは、私にとってラッキーでした。
思えば子供の頃から、目上の人にもはっきり意見を言う方でした。もちろん行動を起こす前は考え込んだり、迷ったりするのですが、心のどこかで正しいことであれば味方はある、と思っているところがあるのです。つまり、失敗しても後悔しないと思える覚悟です。ありていに言えば「どうにでもなれ」「どうにかなる」「人間到る処青山あり」という飛んで行くような思いです。これは30代の自分を支えた大きな力だったように思います。
「胆力を鍛える」というとなかなか難しいですが、考え抜いた末、悩みぬいた末に、「どうにでもなれ」と思って飛んで行くように勢いよく行動に移せるかどうか、ここが重要なポイントではないでしょうか。
<『50歳からの教養力』より抜粋>
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